流月亭
BASARA風味な日記&模造創作忍びが中心のサイトです。苦手な御方様はご注意ください。

御題 : 実は甲賀は伊賀の乱では信長側(伊賀を攻め滅ぼす側)でした。


才蔵「・・・」←伊賀と甲賀は仲が良いと思っていた
佐助「・・・」
才蔵「・・・」←伊賀の乱により兄弟子が消息不明+師匠を亡くした
佐助「・・・」


才蔵「縋りついて泣いていいか
佐助「気味が悪いからやめて!!!???;;;


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※無表情で何言い出してんの!? by 一番身近にいる甲賀忍

※天正伊賀の乱においての甲賀=上記の通りに信長側でした。
 と言うのも、実は信長は伊賀の土地だけではなく甲賀の土地までもを攻め滅ぼそうとしていたのですね。
 ですが其の時、信長の家臣であり盟友でもある家康が「甲賀攻めはお止めください」と申し出ました。
 祖父の代から多くの甲賀忍を雇っていた家康は、甲賀攻めを止めて貰う代わりに甲賀の者達を信長に服従するよう説得し誓わせると信長に約束し、これを甲賀の者達に伝えます。
 そして信長の恐ろしさを知って居た甲賀の者達も、泣く泣く説得に応じました。
 ・・・生き延びる為には、信長に忠誠を誓う道を選ぶしかなかったのですね。

 一説によれば、信長はこの甲賀の領地を通って伊賀に攻め入ったとも言われております。
 伊賀と甲賀は仲間として共闘した事もあり、国としてもお隣同士。何よりも同じ忍術を育んできた同志でもありました。・・・もしかしたら喧嘩友達みたいな仲だったのかもしれません。
 ・・・さても甲賀の者達は、一体どんな気持ちを持って伊賀を滅ぼしに行く織田軍を・・・見送ったのでしょうね。
 

 ・余談ながらに狐白さんの推測
 家康の祖父に仕えていたのは、甲賀忍だけではなく伊賀忍(例えば服部半蔵保長)も居た筈なのです。
 ですが何故、家康は甲賀の土地だけを「攻めないでください」と申し出たのでしょうか。
 ・・・思うに家康は信長に訴えを出した時、甲賀だけではなく伊賀に対しても「説得するから見逃してほしい」と申していたのかもしれません。
 現にとある一説では、第一次の伊賀の乱が終わってから第二次天正伊賀の乱が始まる前までの間、家康は服部半蔵に命じ、又は半蔵からの願いにより、投降や服従を説得させるよう使いの者(忍者でしょうね)を伊賀に向かわせていた・・・と言われていたり致しました。
 ・・・ですが、家康が何と言おうとも思っても、伊賀の国は第一次天正伊賀の乱に於いて、信長の息子(信雄)をボロボロに負かせてしまっておりました。
 なので伊賀の国だけは、信長も家康の訴えに頷くことは無かった・・・のかもしれませんね。






7日
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沢山の拍手を有難う御座いましたァアアア!!!



・・・・・正直、何故こんなに拍手を頂けたのか解りません;;な、何だ何に反応されたんだ・・・!!??

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